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AI(人工知能)の死角についての記事を見て感じた話

先日、日本経済新聞の見出しで「AIの死角 人の「体」「常識」学びにくく」といった記事があり、一通り目通しした中で、ずっと以前から感じていたことをブログに綴っておきたいと思います。

AI(人工知能)について、言葉を見聞きしたことがある方はほとんどだと思いますが、現在、様々な分野においてAI(人工知能)の導入やビジネスモデル化が盛んに進んでいます。

日本のメガバンク三行(三菱東京UFJ銀行・三井住友銀行・みずほ銀行)におきましては、大規模な人員削減が予定されているといったニュースが流れた背景には、AI(人工知能)の影響が大きいとされていますが、業務効率化といった面では納得できる一方で、AI(人工知能)が人の考え方よりも優れているとは、すべての面でそうとは限らないことも多々あるはずです。

たとえば、人間には「感情」がありますが、AIは、「体」が未熟で人としての「常識」が足りないとされています。

つまり、私たちが生きながら成長する過程において学んだことや体で経験したことをはじめ、喜怒哀楽といった感情や世間一般の常識といったものがAIでは認知されにくく、当事務所が行っているような対面相談やプランニングなどにおいて、現時点では、AIの応対は対話すらままならず、とんちんかんな応答になってしまうようです。

私たちは、人生を通じて数え切れないほどの経験や体験を通して、自覚していないものも含めた常識がありますが、AIがそれらをできるようにするためにデータの収集に適した汎用的なロボットを開発する動きも実際に始まっているようです。

とはいえ、人と人との会話や業務の中で、感情が入り混じることが多々あることを踏まえますと、相手から依頼されたことをただ成し遂げるといったサービスは、今もこれからも到底受け入れてもらうのは難しいと私は感じているほか、人の感情まで達するのはAIにはまずもって不可能であるのは確かだと思います。

話は大きく変わりますが、私がずっと以前から思っていたことがありまして、当事務所が行っている独立型のFP事務所の業務において、仮に、AIが導入された企業のサービスと比較した時、正確性といった面では劣ってしまうこともあるだろうと率直に感じている一方で、人として相手の想いや感情を受け入れたサービスや安心感を与えるといった面では決して劣ることはないと思っています。

たとえば、これからのライフプランを考えるのに、機械がインプットしているデータに基づいて機械的に提案されたものに対して、あなたは価値観や充実感を得られるでしょうか?

自分の将来を機械のデータで導き出されるのって私個人の主観になってしまいますが、面白みもないですし、価値観がどうしても得られないことに加え、そんな安っぽいものじゃないと不愉快に感じると思います。

ヒアリングをして、しっかりと想いをくんで、ライフプランを考えるからこそ、その人にとって実りのあるものができると私は思っておりますし、仮に、AIが優れているにしても、やはり対人でお願いしたいといったニーズは今後もあるのは確かでしょう。

満足してもらえるようなサービスや業務を継続していくことは、たとえ、AIが優れていたとしても淘汰されることはないと私は思っておりますし、これは、私も含めてAIの導入が検討されている企業の社員などは、自己研鑽に励んで自分を守る努力を惜しんではならないことを意味していると思います。

いつの時代であったとしても、このような「アナログ的な考え方」が活きることを私たちはもっと理解し自覚しておく必要があるのではないでしょうか?


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